いつも気張って So long

 

「かっこつけ」と言われたことがあった。丸聞こえの陰口で。小さい頃。

 

そのとき相当落ち込んだことを思い出す。

 

わたしってかっこつけてるんだぁ。どこをどんなふうにかっこつけてるんだろう…?どんなふうに振る舞えば「かっこつけ」でなくなるんだろう?…延々と考えると、すべてがわからなくなった。

 

その一方で、かっこでもつけてないと心が折れそうな瞬間があることにも気づいた…あ、ってことはわたしってやっぱりかっこつけてるんだ…と思い、更に深く落ち込んだ。

 

そのときは、かっこつけるのは「罪」なのだと思うことにして、それで自分の中では決着をつけたつもりだった。

 

でも、今の自分を振り返ってみても、やっぱりかっこつけだなぁって思う瞬間がある。こうやってブログ書いてるのも、かっこつけだ。

 

でも、もうそれでいいかなぁって。かっこつけでいいや。って開き直りつつある。

 

だって、わたしはかっこつけたところでダサいんだ。いくらかっこつけてみたって冴えないし、鈍臭いし、陰気だし…。

 

だったらもういくらでもかっこつけていいじゃん。むしろそうでもしないと本当にやっていけない気がしてきた。

 

ブログを書くとき、ここにことばを投げつけるとき、わたしはとても気持ちいいし、それでいて痛くもある。その痛みのおかけでわたしは生を知る心地がする。それは、かっこつけるときも同じ。

 

かっこつけることも、ことばを吐き出すことも、傷の付かない自傷行為なのかもしれない。それでわたしはわたしの軸を立て直しているのかもしれない。

 

ps.タイトルもかっこつけた☆☆☆